介護のお話は、あまり書いていないけれど、
今日は、介護を通して感じたことを、
ほんの少しですが、まとめてみました。
どなたかのお役に立てば幸いです。
自宅介護の日々は、知らず知らずに、
自分のパーソナリティが失われていく。
介護をしている自分が「自分」になってしまうと、
本当の自分は、どこか片隅に追いやられてしまうのです。
じんわり、じんわりと、侵食されて、
「自分」が奪われてしまう。
私のからだは、そんな危険を察知していて、
未来予測していたことが、過去を振り返るとわかります。
「自分を知る」をテーマに、サロンで定期的にアストロロジーの講座を始めたのが、
2014年の春。
これは、自分の人生に何が起こって、それがどんなタイミングで、
どんな理由で起きていたのか、理解する良いチャンスでした。
私をはじめ、この講座に参加された皆さんが、
自分のことを客観的に捉えて、洞察力を磨くチャンスとなりました。
どんな波がやってきても「対処」する冷静さや忍耐、
準備ができるようになるんです。
またご要望が多ければ、開催しましょうね。
次に、私のからだが引き寄せたのは、
「ソマティクス」(西洋で発達してきた『からだの学問』)でした。
2015年の6月に、
ダンスサイエンス関連の自宅書棚(積ん読本が結構あるの♪)のコーナーで、
何気なく光を放って「みてみて!」って主張している本を発見。
裏表紙を開いて、内容も読まずに、
すぐに著者に会いに行きました。(最近やっと読み始めた。。。うふふっ♪)
私が出会ったのは、正式には、「シン・ソマティクス®」というもの。
ここで注目するのは、「からだ」。。
見た目のボディでなく、
内側から、自分だけが感じ取れる身体感覚を発達させていく方法及び学問。
ニューヨーク州立大学の一つ、ブロックポート校の名誉教授、
Fraleigh氏の30年以上のダンス教育で培われた指導経験に、
フェルデンクライス、クレニオセイクラルセラピーなどの様々なボディワークの要素をを取り入れ、
哲学や瞑想、ヨガや暗黒舞踏、禅を通して得られた経験や研究を統合して確立されたもの。
基本的には、何をするかって?
まず、現在の自分のからだを受け入れるところから始まるの。
じっくりと向き合う。
(日常生活ではありえないゆっくりのスピードでからだを動かしてみる)
そこで何を発見するか。
様々な感覚や機能が、自分の中に眠っていることに気づいていくプロセスで、
後付けされた「動きの癖」が取り除かれていき、
本来あるべき状態へと、戻っていく。
そう。
本来の「自分のあるべき存在」を発見するのです。
神経と筋肉の絶妙なコンビネーションが芽生えていき、
からだがもっと楽に、効率よく使えていきます。
ソフトに、できるだけ力を入れずに動くことで、
無駄な力が抜け、神経がとてもリラックスします。
(ストレスフルな筋力を硬直させる生活は、神経組織にダメージを与えています)
ゆっくりゆったりの状況を自分に与えることで、
エネルギーの無駄遣いがなくなり、
燃費の良い、コスパが高いからだへと変化していくのです。
このプロセスには、大きな喜びや発見が伴うので、
「自分の真の姿を創生」する「人生の大革命」でもあります。
私は、このメソッドを始めて「自分の開花」(自分への回帰)を体験しました。
それまで自分を守っていたと思っていた「黒服」が、
着れなくなったのです。(2017年5月)、、、シン・ソマティクス始めて2年。
考えてみると、○○クロ(カジュアルウェア)の黒の上下で全身を覆ってた私は誰だったのかな。
壮絶な毎日を過ごしていた私です。(介護はもちろん、時間に追われまくりの私だった)
寝ている時だけが天国の日々。(恐ろしいね♪)
それまでの人生を、様々な「からだの緊張」が支配していたなんて、
夢にも思わなかったです。
ありとあらゆるところの「こわばり」を、
一つ一つ丁寧に、ゆっくりと、
まず認識して受け入れることから始め、
自分のからだの内側に意識を持っていきます。
そして、そこで起こる「小さな変化」に、
からだ全身の神経を向けて、
(神経ネットワークを一箇所に集中するってからだの眼でその状況を観ているとも言えると思う)
からだの変化や感覚の変化に寄り添う作業。
それは、新たな神経ネットワークを再構築し、
脳で知覚する「新しいからだへの目覚め」でもあります。
決して、「良い」「悪い」「間違った」「正しい」なんて言葉が、
出てこないワーク。
「強制」「矯正」から「共生」へ。
ただあるべき姿へと戻っていくプロセスです。
本当にシンプルな工程。
やっていることは、「優しく触れる」「ゆっくりゆっくりゆっくり」
「内側の感覚の変化にからだの内なる耳や内なる眼を向ける」
それだけ。
二年間で、膨大な数のワークを「自分」に施しました。
私のお洋服の色調が、突然変わってびっくりした方も、
たくさんいらっしゃると思います。
突然、黒が着れなくなって、
からだは、もっと優しいものを求めました。
これは、衝動ではなく。
私の本来のからだの声が常に発信していたものに、
やっと気がついた瞬間でした。
寝ている時も、どんな時も、
その温かいエネルギーの服が私を応援してくれています。
地球への愛が描かれた、そのメッセージの響きでいっぱいの服に包まれていると、
「なんて気持ちがいいんでしょう」って。。。。
父や母に対する「心配」は「いたわり」「思いやり」の温かい世界へ導かれ、
「共にいようね」「今楽しもう」へと変わりました。
するとね。呼んでるんです。私を。
だあれ?
ふと声の先を見ると、
お父さんがいた施設のフロアの片隅に、ひとりぼっちで寂しそうな「ピアノ」さんがいました。
フロアの責任者の人が、寄ってきて、
「このピアノいつでも弾いていいわよ」ですって。驚き。
小学校以来だけど、触ってみると、
「エリーゼのために」を弾き始めたの。
以来、5分でも時間があると、ピアノさんと一緒に練習するようになりました。
CDでヴァイオリンの名演奏を聞くよりも、いいんだ。そんな発見がありました。
私のつたない音を聞いて、心を温めている様子の父を見ることができて、
唯一無二の体験をし、それが心の奥深くに刻まれました。。
言葉では表せない「安心」「絆」「静けさ」がお互いの中に、
流れてぐるぐる回っているんです。
母も同様で、母は時々そのメロディーを大きな声で歌っちゃいます。
(今は、ちゃんとした言葉は喋れないのですが、、、)
ピアノの音が大好きで、曲調が変わるごとに「感動」して涙を流します。
最近では、何語かわからない言葉ですが、よく喋ってくれるようになりました。
私は、ピアノさんとのご縁を感じて、
練習を始めただけ。1年と5ヶ月あまりですが、全然上手にはなっていないけれど、
状況の変化は驚くほど。
一番の宝は「喜び」
ますますからだが喜んでいるんです。「それを感じること」私のすることはそれだけ。
深い喜び。ハーモニーってこういうことか。
一旦それを味わうと、もう後戻りができない。
そして、からだに嘘をつくこともできなくなりました。
これが、「自分を愛する」こと。なんだね。
からださん。
えらいよね。あなたは何でも知っているし、
私の未来も予測しているんだもん。
今思えば、こういったプロセスが必然的に用意されていることがすごいなって思います。
介護に対する姿勢も一変しましたしね。
ヨロイカブトで万全装備していた「私」から、
「どんな状況も受け入れるよ〜」と言ってる、
「ノーテンキな私」へと、大きくシフト。
あははは〜。
「ストレスフル」から「ストレスレス」へ。
いいよ!ねっ♪
自分に対して優しくなるってことは、
自分以外のものやひとにも、
同じくそういう状態で関係性を築くことができるんだなあ。
発見は、いろいろ。
そんなことを目的や手段にしていなかったのに、
なんだか山盛りのご褒美がもらえちゃった感覚。
認知症に対しても、違う側面が見えてきたの。
両親はもちろんのこと、
状況そのものを受け入れる姿勢が変わったな。
相手から、私がどう見られているのかは、わからないけれど、
あ〜そういえば、面白いこと言われたっけ。
母が入っている施設の、比較的認知が軽い方が、
「あのお姉さん、派手になったね。面白い洋服着てるよ」
って言っていたっけ。
うふふふ♪
認知症にも、人それぞれいろんなタイプがあります。
ケア施設の認知フロアに1日いると、100人100色。
同じ症状などない。
医学的に「認知症」などと病名をつけてはいけないのだと思うな。
ひとくくりにしちゃうから、対処法や改善法が見当たらないんだよね。
一人、一人、対応を変えて接しているワーカーさんもいて、
彼女は素晴らしいなあって、
最近働き始めた方ですが、感心しています。
働く人も、長年続いている人は、わずかで、
あとは、めまぐるしく職員が退職就職を繰り返しています。
それだけ、大変なんでしょうね。
母の初入所で訪れた時は、
こんなところありえない!
「まるで生き地獄(苦しそうな不幸せなうめき声が蔓延)」のように感じました。(2年前)
唸り声をあげながらタオルを食べている人(実際には噛み切れないので食べてないけど)。
過去の出来事に執着して、今まさにその出来事が起こっているかのように、フラッシュバックを繰り返し、怯え叫び、「もうしませんからごめんなさい」と謝り続ける人。
仕事で細かい確認作業をしている幻想に囚われている人(相当なストレスを抱えて仕事してたんだね)鏡を見ながら誰かと会話して、「ここよし」「これもよし」ってずっと続けてる。
家に電話をかけたいから「10円貸してください」「貸してくれたら20円にして返すから」「お願いです」と、もう何ヶ月も言い続けているおじいちゃん。(今日は200円にしてくれるって、、、毎日途方に暮れている)
胃瘻をしているあるおばあちゃんは、他の胃瘻患者さんと違って体力があって、
車椅子で座位を撮る時間が長くて、日中は食堂にいて、
みんながご飯を食べている時もなぜ自分はご飯をもらえないのか、
説明されてもわからなくて、「ご飯をください」って言っていて、
「お口からじゃなくて胃袋で食べているのよ」って説明されても、
「????」で、娘さんの名前を呼んで「助けて!」「お願いです」叫びながら、
懇願し続けています。
これって?病気?ですか?
認知症の母に対するケアも、私自身の中で大きく変化しています。
まずは、「認知症」なんて言葉を捨てて、
母の全人格を受け入れるところから始めます。
ほとんど寝たきり状態であることも、受け入れます。
今は、母と会うと、
「笑顔」や「怒った顔」「ぼやけた意識」いろんな状態のそのものを、
全て優しく受け止めて「ただ一緒にいようね」って、
ゆっくりと優しく声をかけ、ふれあいを楽しんでいます。
母の中から、何かが芽生えるのを、
一人ひそかに待ち、ワクワクが、
ひそやかに高まってきているのを感じています。
人生の終焉へと向かっていく人々を、
毎日目の当たりにしていると、
私自身、
「最後まで人間でいられるかな?」という不安がよぎります。
私が、自分の中で体感した「本当の自分」「素の自分」は、
これからも成長発展を遂げて、
きっとそんな不安も払拭してくれると、
信じています。
さて、介護を通して、
私が体験できたことは、
自分という存在の在りかです。
黒服で鎧をつけて、頑張っていたあの頃。
もう少しで、「自分」を失うところでした。
でも、反対に、失いそうになったから、
「自分」が見えてきた(感じられた)という体験ができたとも言えます。
そういったプロセスにずっと立ち会ってくださって、
いつもいつも父と母へ大きな愛情をかけてくださったソマティクスの大先輩に、
心から感謝しております。
私を信じてくださって、
慈愛『compassion』を示して、傍にあり続けていただいたことで、
私は、自力で開花することを、強く信じて(信念の基盤)、
変化を体感することができました。
来年は、私がいただいたものを、皆さんに送りたいとプランを練っています。
ソマティクスの体験クラスを作る予定。(今までにない新しい体験プログラム)
今は、大きな変換期。
父を見送ったあの日に、
私自身も見送った気がします。
一つの時代は終わりました。(私の歴史の中の一ページが終了)
これから、「新たな人生の本」の一ページの冒頭を、
書いていくんだという気分です。
今まで培った全てを、
待っている方々に届けたいと願っています。
サポートしてくださる方々、私に力を貸してください。
どうぞよろしくお願いします。(今までより以上にね♪)
メンタルな時代は、「人間て何だろう」と、
答えを求めているのですが、
(アメリカからやってきた『ポジティブシンキング』が、うつを劣悪な状況へと押しやっていて、爆発的に増加させたとも言われています)、、、でもこのことはどうでもよし、注視しなくていいの。
認知症の治療、あらゆるメンタルケアは、
功を奏することはない(治癒に至らない)という結論が私の中にあります。
なぜならそれらは「病気」ではないからです。
原因がそこにはないのに、
結果が得られるわけはないですね。
答えは、からだの意識の中にあります。
心と神経ネットワーク、
脳と心を繋いでいくことで、
未来に光が見えてくる。
その確信をしっかりと携えて、
これから歩んでいきます。
井沢慶紅でした。
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