中世の偉人達がのこした、医学への提言。原子転換が生体内でおこっているという事実!

 西洋医学の歴史に大きな名前を残すことになる巨人、パラケルススことテオフラスト・ボムバスト・フォン・ホーエンハイムは、1493年にスイスの農家の息子として生ました。農家とは言っても、彼の父親のウィルヘルムは貴族の血を引く医者であり学者でもありました。彼は学問のための放浪の末、農奴の娘と結婚。早くに母を亡くしたパラケルススは、都市のフィラッハに移住。ウィーンの大学で、基礎学問を学んだ後、父の勧めで1513年から1516年までフェラーラ大学で医学を学びました。彼が「パラケルスス」という名を決めたのは、このフェラーラ大学時代のことであったようです。当時のイタリアの大学の規則で、外国人は名前の発音が難しいことから、ラテン語の「学者名」を使うことになっていました。在学中にパラケルススは、多くの医学を学び、自分の恩師に対しては敬意を表してたそうです。しかし、大学の医学教育そのものに対しては非常に批判的でした。過去の学説をいつまでも崇め続ける権威主義、解剖実習のような一見新しい教育も形骸化していて意味を成さない……。など 1516年にフェラーラ大学を卒業すると、彼は遍歴学生となって、学問のための放浪の旅に出ます。彼はドイツ、イタリア、フランス、スペイン、イギリス、ロシアを旅してまわります。一説にはアフリカにまで足を伸ばしたという。これは1524年の8年間におよぶ。 いわゆるパラケルススの大遍歴である。 彼は各地の大学や知識人サークルを尋ねて周り、彼らと接触しました。また、こうした知的エリートだけではなく、「隠された民衆の知」を得るべく、民間の治療師や占い師、まじない師、免許を持たないモグリ医師までもを尋ねて、彼らの経験則による治療技術をも学びました。 彼は、終生に渡って、「書物の上でしか病気を知らない医学者」が、治療に携わることの危険性を説き続けました。こうした医者よりも、経験豊富な民間治療師からのほうが、学べる点は多いということです。 ここが、彼が他の権威に凝り固まった医師達と差を付ける大きな要因ともなったことも事実です。 例えば、彼はチンキ剤に注目した最初の医学者としても知られていますが、それはこうした経験によって得られたものだったようです。またこの遍歴の時、彼は新大陸からもたらされた新しい疫病の梅毒の悲惨さを目にします。後に、彼は梅毒の治療について、熱心に研究するきっかけとなった。また、戦争にも軍医として従軍もし、この時、彼は捕虜となって投獄される経験もしたようです。しかしながら、この経験が基となって、これまで象牙の塔の医学者達が軽視していた外科の技術に注目することになります。さらに、外科医学の父とも呼ばれるパレにも、この遍歴時代に出会っており、その影響も受けました。 また、彼はこの次期に錬金術への関心をも深め、これを熱心に学びました。
 もともと錬金術と医学は、結びつくところも多く、関心を寄せた医学者は多くいました。パラケルススは、ヘルメス哲学をも深く追求しました。パラケルススの生涯 より

http://ja.wikipedia.org/wiki/生物学的元素転換 より元素転換に類似する概念は原子に関する知識が確立されていなかった中世の錬金術の時代に遡られる。1600年頃にフランドルの化学者J・P・ヘルモントは、水だけを与えて生育させた樹木の重さが数年後には大きく変化していたことを見出している。1822年にイギリスのウイリアム・プラウト(en:William Prout)は、鶏の卵から産まれたヒヨコに、含まれる石灰分が卵の4倍も増加していることを報告している。また同じ時期にフランスの化学者L・N・ヴォークランは、鶏の卵の殻に含まれる石灰分が餌として与えたオート麦の石灰分をはるかに超える量であったことを確認している。1849年、ドイツのフォーゲルはクレソンの種子を発芽させる実験を行なったが、その実生には種子よりも多くの硫黄分が検出されたことを記している。1856年から1873年にかけてイギリスの農学者のローズ(en:John Bennet Lawes)とギルバート(en:Joseph Henry Gilbert)は、植物が土壌に含まれている量より多くのマグネシウムを吸収していることを示すいくつかの実験を行なっている。1875年以降、ドイツのフォン・ヘルツィーレ(de:Albrecht von Herzeele)はローズとギルバートの実験を追試し、また独自の実験により硫酸塩を含んだ水で栽培した植物には燐が増加していることを見出している。20世紀に入るとオーストリアの神秘思想家R・シュタイナーがバイオダイナミック農法を提唱し、その農業講座の中で一つの元素から別の元素に転換する現象が生じうることに言及している。 この思想は後継者E・プァイファーによって受け継がれ、彼はその著書「大地の生産性」の中で石灰分の乏しい芝生に生育したデイジーが多量のカルシウムを含んでいるといった実例を記している。

関西原子力懇談会 よりウラン燃料リサイクルについて
原子燃料サイクルの各工程の概要ウラン鉱石の採掘、精錬天然ウランが含まれるウラン鉱石を採掘した後、鉱石から不純物を取り除く精錬を行い、イエローケーキ(重ウラン酸アンモンなどの化合物)と呼ばれる粉末にします。天然ウランに含まれるウラン235は0.7%です。転換フッ素と反応させ、六フッ化ウランにします。六フッ化ウランは56.5℃で昇華し気体になります。濃縮六フッ化ウランの気体の状態で、ウラン235とウラン238の質量の差を利用し、ウラン235の割合を3~5%に濃縮します。国内のウラン濃縮施設では、濃縮技術として遠心分離法が採用されています。再転換濃縮した六フッ化ウランを、還元、酸化して、粉末状の二酸化ウランにします。ウラン燃料成型加工二酸化ウランを焼き固めてペレットにし、合金製の管に詰め、管を束ねて他の部材とともに燃料集合体に組み上げます。発電燃料集合体を原子炉(軽水炉)に装荷します。燃料に含まれるウラン235や、生成されたプルトニウムが核分裂し、発生した熱エネルギーを利用して発電します。使用済燃料中間貯蔵原子炉から取り出した使用済燃料を、再処理するまでの間、貯蔵、管理します。再処理使用済燃料をせん断し、硝酸で溶解し、ウランとプルトニウム、核分裂生成物を分離します。ウランとプルトニウムは精製し、硝酸を取り除き、酸化物として貯蔵します。核分裂生成物はガラス固化し、高レベル放射性廃棄物として保管します。MOX燃料成型加工再処理して回収したプルトニウムをウランと混ぜて、混合酸化物燃料(Mixed Oxide Fuel)=MOX燃料にします。ウラン燃料と同様、焼き固めてペレットにし、燃料集合体に組み上げます。このMOX燃料を軽水炉で使用することを「プルサーマル」といいます。放射性廃棄物の処理処分低レベル放射性廃棄物は、含まれる放射性廃棄物の濃度に応じた方法で埋設処分します。ガラス固化した高レベル放射性廃棄物は、30~50年間冷却、貯蔵した後、地下300メートルより深い地層に埋設します。

人間の叡智を集結して得たエネルギーですが、今回の原発事故のような危険を隣り合わせに、電化生活を享受していたとは、誰も想像できませんでした。しかし、私たちの身体の中では、生体内原子転換が行われています。このことが、広く理解されるようになると、医学もその根底を失う事になります。さらに、歴史をさかのぼると、パラケルススなど、中世に生きた、偉人たちが、いかに医術を極め、これから進む21世紀の医学に、その功績を残すか、想像できます。この震災をきっかけに、新しい概念を構築していくことでしょう。ママキッチン

☆ Body knows the future ☆

からだの声に耳をすませばいいの?声って何?この「瞬間」からだのそこかしこが、どんな風につながって、そしてすべての組織や育みを、足は大地に伝えているんだろう。手には何を携えているんだろう。網膜に映る現実を、心にどう伝えているんだろう。内なる「目」で、どこに心地よさがあるんだろうって感じて。ほらほら!「生きる」こと、楽しみに待っている「細胞たち」がある。そうなんだね。からだは未来を知っている。