医学と「システムオブナチュラルヘルス」について:講演会のお知らせ♪
ウィキペディア 医学 より
語源
「醫學」という言葉は、中国では明の政権が安定する15世紀頃から、よく用いられるようになり、「醫學○○」という書物が多数見られるようになった。
仏教圏において、「医」の象徴として薬師如来が知られていることからも判るように、「医」は元々は漢方等の「薬」を扱っていた者によって行われていた。古代中国においては、「医」は主に道士や法師等によって営まれ、宗教と密接に繋がっている。伝統中国医学は、単に「医」または「医方」と呼ばれており、勘と経験に頼る部分が非常に大きかったが、明時代になると、鍼灸だけでなく、漢方薬においても、中国の根本的な理論である陰陽五行思想や経絡理論など、理で固めるようになり、理論的・学問的な色彩が強くなった。それを強調するために、あえて「醫學」という言葉が用いられるようになったのである。
また、「医学(醫學)」という言葉は、「哲学(哲學)」「民主主義」「社会(社會)」などと同じように、明治時代に英語・ドイツ語・フランス語などの「英: midicine」や「独: medizin」などを訳出する時に作られた造語(新漢語)のひとつ、とする説もある。
概説
まず世界全体の医学を概観すると、世界各国には様々な医学があり、例えば、中国伝統医学、イスラーム医学、西洋医学 等々がある。
ギリシャ医学 、ユーナーニー医学(イスラム医学) 、中国医学 、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)、チベット医学など、歴史が長い医学を、まとめて伝統医学と呼ぶことがある。なおこれらの伝統医学は各地で現在でも用いられており、現役の医学である。
世界各地にはいろいろな医学があるが、これらの違いは、生命や病気に対する考え方の違い、つまり理論の相違と言える。病気の症状の解釈の相違によって、異なった病気の姿がそこに出現することになる。医学が異なるということは、症状が同じであっても、別の病気の実体をそこに見ている、ということなのであるとし、これは、同じ風景を見て描いたのに描く人によって全く異なった絵画になる、ということに似ていると言える、と三浦於菟は述べた。
(西洋医学しか知らない者にとっては)まず、ものの見方・考え方により森羅万象が違った姿に見えてくる、ということに気づくことが東洋医学(や他の医学)を理解するための第一歩となると三浦は解説した。(三浦於菟『東洋医学を知っていますか』新潮選書)
からだを見る観点には、《関連する一連の構造物》と見なす観点と、《相互に依存しあう一連の機能》と見なす観点があるが、その違いは西洋医学と東洋医学を対比してみるとよくわかるとアンドルー・ワイルは解説する。中国の医学は、(かつて死体解剖が禁忌であったなどの文化的理由により)、人体内部の構造に関しては詳細な知識なしに発展したのだが、そのかわりに(そのおかげで)、からだの諸機能同士の関係を明らかにしてきたのである。中医学の医師は、あまり身体の防衛機能(自然治癒力、免疫)と、個々の内臓器官とを関連づけて解剖学的に説明しようとはしない。だが、解剖学的な知識をもたなくても、(あるいはむしろそのほうが)患者の健康を増進させることはできたのである。
それに対して西洋医学の医師たちは、扁桃、アデノイド、虫垂、胸腺、脾臓などの構造物が体内にあることは一応知ってはいたが、その機能のことは最近まで全然理解していなかった。20世紀になっても、まだ最近まで、西洋医学の医師らは、扁桃、アデノイド、リンパ節、虫垂、胸腺、脾臓などの、(現在では非常に重要だと判明している)免疫器官の大半に、こともあろうに「機能が無い」「退化したもの」「瑣末(さまつ)」などといった、とんでもなく誤ったレッテルを貼ってしまうという過ちを続けてきたという。
1950年代には、一流病院の西洋医学の医師らが、ひどいことに、X線で子供たちの大切な胸腺を損傷・破壊していた。本当は、子供というのは、活発に免疫系を発達させる時期にあたり、リンパ球に抗原を認識させる際などに胸腺が重要なはたらきをしており、そのため子供の胸腺は、どんな子供でも、もともと肥大しているものなのである。それは通常の生理現象なのである。ところが、西洋医学の医師らは、どんな子供にもある胸腺肥大という生理現象を、愚かにもそして傲慢にも、「病気」と考えてしまい、大切な胸腺をX線で破壊・退縮させてしまい、そうした自らの加害行為を「治療」と呼んでいたのである。1950年代の西洋医学の医師たちは、胸腺の機能を理解しておらず、それを「役立たずの器官」などと誤って見なし、幼児期における肥大を「なんらかの病気の兆候に違いない」などと誤って判断し、加害していたという。
1960年代の後半でさえ、西洋医学の医学校では(例えばハーバード大学医学校などでも)外科医たちが、扁桃炎を起こす子供の、大切な扁桃やアデノイドを摘出してしまうという誤った行為を日常的に繰り返していた。
つい最近まで、何らかの手術(例えば、胆のう切除や子宮摘出など)を受ける患者たちが、しばしば本人に事前に知らされることもなく、また同意も無いままに、西洋医学の医師たちによって 「ついでに」という誤った判断で、勝手に虫垂を切除されてしまい、手術後に請求書の明細を見てはじめて、自分自身の器官が無断で切除されてしまったという事実を知った、ということが後を絶たなかったという。
こうした出来事に、《からだを構造的に見る観点》と《からだを機能的に見る観点》とのあざやかな対比が見られる、とワイルは言う。西洋医学の、構造物に固執する者たちは、無思慮にも、大切な免疫器官を破壊してしまったのであり、東洋医学の機能重視の人たちは、それらの器官の有益な働きを増強する具体的な方法を開発したのであるとワイルは述べた。
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