各国の一人当たりの肉消費量の変化は、何を意味するのでしょうか。
人間が何を食べているのか調べる事で、未来がみえてきます。肉食をはじめとする動物性食品の摂取の急増は、シンプルな食物連鎖から大きく外れてしまいました。ヨーロッパで、大帝国を築いた皇帝は、兵士たちを。スペルト小麦とナッツを与え行軍させ、いざ明日は、戦いというときに、狩猟で得た少量の肉を兵士たちに与えました。肉は、身体の中に入ると、副腎を刺激して、アドレナリンを放出します。「戦う」か「逃げるか」という、動物の闘争本能をかきたてます。いざという時に、自分を危険から守るために、用意されているホルモンを、肉を常食する事で、常時放出している現代の食事情は、肉体的にも、精神的にも、「戦い」続けて、心臓をはじめとする、循環器に、急発進、急停止を強要していることになります。さらに、そう言った食べるものが、「心や身体」に「消化ののための重労働をさせ」免疫システムを低下させ、ストレスがかかった神経システムを、毎日、カフェインやアルコールで、コントロールしようとしています。コントロールしていく先には、もうこれ以上コントロールできないという状況が、待っています。日本人の場合は、コントロールが外れて、凶暴になるというより、自分を壊していく方に、向けて「うつ」などの症状を、発症する事が多いようです。資源の無駄使いをしないためにも、是非、野菜をたくさん食べてみてください!
以下は、http://119110.seesaa.net/article/142100048.html「ここ半世紀の食肉文化の異常なグローバル化を見て」の転載文です。FAO (国際連合食糧農業機関)の「2009年FAO食料農業白書」というものの中にあるもので、農業情報研究所の下のページに説明があります。世界の食肉消費 1960年代初めと2005年の比較 FAO2009年食料農業白書の発表に寄せて(農業情報研究所 2010.2.20)表は、「1961年と2005年の地域別の食肉消費量の変化」を表しています。各地域の1人が1年間で消費する食肉のkg量です。もともとは肉食文化はアメリカやヨーロッパなどでのマイナーな食習慣だったのです。それが、この50年間で、いかに急速に肉を食べる食習慣が世界中に広がっていったのかがわかります。
・1961年の各地域のひとりあたりの食肉消費量
1961年の時点での肉の消費量の順位は、多い順に1位 米国 90kg2位 西ヨーロッパ 70kg3位 ヨーロッパ 50kg4位 南米 40kgと、ここまでが比較的多くて、続いて5位 アフリカ 10kg6位 東南アジア 10kg以下7位 日本 10kg以下ここからはさらに少なくなり、8位 東アジア 5kg9位 南アジア 5kg10位 中国 5kg以下と続きます。(kg数にはすべて「約」がつきます)1961年では、アメリカでの食肉消費がダントツで多く、中国がひとりあたりではもっとも少なかったということになります。当時のアメリカは、ひとりあたりで中国の20倍程度の量の肉を消費していたということになるようです。中国料理もわりと肉を使うイメージはありますが、比較にならないほどアメリカの食生活は肉中心のようです。では、それから50年後の2005年はどうなったか。・2005年の各地域のひとりあたりの食肉消費量
2005年の時点での肉の消費量の順位です。カッコの中は1961年からの増減です。1位 米国 125kg(+35kg)2位 西ヨーロッパ 85kg(+15kg)3位 ヨーロッパ 70kg(+20kg)4位 南米 40kg(+-0)5位 中国 55kg(+50kg)* 1961年の約10倍以上6位 東アジア 55kg(+50kg)* 1961年の約10倍以上7位 日本 45kg(+35kg)* 1961年の4倍強8位 東南アジア 20kg(+15kg)* 1961年の4倍強9位 アフリカ 15kg(+5kg)10位 南アジア 5kg(+-0)と続きます。(kg数にはすべて「約」がつきます)南アジアを除く、ほとんどの地域で食肉消費はものすごい勢いで伸びていますが、特に、中国と東アジアがスゴイ。日本は別項目としてありますので、東アジアというのは、具体的には韓国や台湾などを指すと思われますが、この日中韓、東南アジアは異常なほど肉食文化が浸透してしまった、ということだと思います。また、アメリカはもともと多いのにさらに増えています。「何をどうしたらそんなに食べられるのだい?」と、さすがに思ってしまいます。なお、南アジアの肉食消費の少なさは、インドなど、(宗教的理由で)世界でもっともベジタリアンが多い国が集まっているからだと思われます。上で「肉食文化が浸透してしまった」と否定的な書き方をしてしまいましたが、今回のFAO (国際連合食糧農業機関)の「2009年FAO食料農業白書」が問題としているのは、「途上国における畜産物需要の急増と畜産の急拡大の問題」ということで、農作の無秩序な拡大の問題点として、農業情報研究所では、・畜産は世界の総消費量の8%の水を消費・地球の農地の80%を使用・過放牧での土壌劣化・森林破壊の加速・温室効果ガス総排出量の18%を占め、輸送部門からよりも多く排出している・SARS、インフルエンザ、BSEなど動物由来の感染症のリスクとしていますが、しかし、こういう部分よりも、農業情報研究所のこの部分が心に響きます。本来は極めて局地的であった食肉文明が、たった半世紀ほどの間にグローバル文明になってしまったということである。たった半世紀前、世界の大部分の地域・国では、肉のない食事が当たり前で (草育ちの家畜から乳はいただいても、命をいただくのは稀なことだった)、肉のある食事はせいぜい”ハレ”の日のごごちそうにすぎなかった。ところが、いまや新たに食肉文明を受け入れた国でも、肉のない食事は異常に貧しい食事とまで受け止められるようになった。この > 命をいただくのは稀なことだったという部分。1961年よりさらに時代を遡れば、肉を食べない地域ではもっともっと食べていなかったように思われます。日本などは明治より先に遡れば、肉食文化はかなり特殊な文化だったと思われます。だからといって、肉食を非難するというような主旨ではありません。ただ、なんというか、「もはや、人間は、命を食べていることに何の感動も感謝もなくなっているのではないだろうか」という残念感はあります。「生きているものを殺して食べさせていただく」というのは、ものを食べる際には仕方のないことですが、今の状態は、無節操に動物を家畜として育てて、次々と殺して安くしていく。残った肉(殺された死体)はゴミとなって、たとえば、アメリカでは今や、年に150兆キロカロリー、一人一日あたりにして1400キロカロリーの食品が残飯となっていたりする。以上転載文です
肉の消費量が倍増している事は、「腎臓」を負のエネルギーで、増強していることを意味します。「凶暴性」や「恐怖」を増した「腎臓」です。一体なにと「戦う」のでしょうか。ママキッチン
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