「世界最高峰エベレストに挑む」ゴミと遭難者、多くの命を吞み込む「死の山」
2011年5月、NHKのハイビジョンカメラが捉えた、エベレストの映像は、お茶の間に誰隔てなく届けられました。厳しい天候の中、日本人登山グループは、絶景のチャンスを待ち、努力の結果素晴らしい映像を手に入れる事ができました。ほんとうにお疲れさまです。私たちは、お茶の間で、簡単に絶景を見て、とても嬉しいのですが、その反面いいのかな?という気持ちにもなりました。アナログからデジタル化という、技術の進歩によって、素晴らしい映像が毎日配信されます。が、別の側面も、きちんと報道していただきたいですね。ネットで、「エベレスト」と文字入力してみると、「遺体」という言葉がでてきました。あれっ?すると、デイリーニュースエージェンシーの閲覧注意という記事が出て来ました。その中の You Tube では、「死の山」としての「エベレスト」が語られています。
以下「『死の山』エベレスト、高度8000mに放置された登山者達の遺体」の記事より転載それらの死体のほとんどは標高8000mを超えた「デスゾーン」にある。海面と比べて酸素濃度が1/3という過酷な環境では、どんなトレーニングを積んだとしても48時間以上は耐えられない。平均温度氷点下27度、頂上では時速320kmにもなるという風が吹く中では、あっという間に体が凍りつく。そのような過酷な環境では、死体の回収を行う余裕は誰にも無い。これは1924年に遭難し、1999年に発見されたイギリスの登山家、ジョージ・マロリーの死体。低い気温と乾燥した空気は、遺体をあっという間にミイラに変えてしまう。北東側ルート一帯は「虹色の谷」と呼ばれることもある。遭難者達のカラフルなダウンジャケットが、雪の間に見え隠れするからである。ドキュメンタリー映像としては、ナショナル・ジオグラフィクスの「The Dark Side of Everest」もあります。YouTube – The Dark Side of Everest, part 1以上転載記事でした。
NHKの番組のなかで、アルピニストの野口さんが、ゴミ問題を語っていたのが印象的でした。1980年代が一番ゴミを山に残した時期だったと言ってました。う~ん、なるほど、そんな問題もあるんだと、考えさせられました。でもこういったことを知る事はよいですね。アルピニストの眼(1) 世界一過酷な清掃活動そう思いながら見ていると、番組司会者が、先日の登山で日本人の登山家が、頂上を寸前に突然なくなったというコメントをしました。よく聞き取れなかったので、今回のNHKのグループの方なのかな?と思い、NHK エベレストで邦人登山家死亡 で検索すると、「エベレストで邦人登山家死亡 NHKニュース」が出て来て、その記事を読もうとすると、記事は消去されていました。こうなると、もっと読みたいじゃないですか。なぜ消されたのかな?この番組の正確なタイトルは、番組タイトル:世界の名峰 グレートサミッツ「世界最高峰エベレストに挑む」でした。グレートサミッツ取材班が世界最高峰エベレストの8848mの頂をめざして挑戦、その模様を最新の映像やベースキャンプからのインターネット中継をまじえて伝える。2011年5月、世界の名峰・グレートサミッツ取材班が、世界最高峰エベレストの8848mの頂をめざして挑戦。そのもようを、最新の映像やベースキャンプからのインターネット中継を交えて伝える。5月29日は、58年前に人類が初めて世界最高峰の頂に立った日。今ではネパール側と中国側から、合わせて4000人近くが登頂している。スタジオにエベレストにゆかりの深いゲストを迎え、徹底的に、その魅力を語り尽くす。以上 番組紹介です。そして、「Body of Japanese climber brought down from Everest」という記事を見つけました。番組を見ていて、亡くなった方は、エベレストの頂上近くで、どのように搬送するのかな?という単純な疑問でした。皆さん極限状態の体力、精神状態にあるわけですから、下山するかたが、搬送なんて無理ですよね。ですから、この記事を読んで、ほっとしました。5月23日の月曜日に、カトマンズの病院で待つご家族と友人の元に、帰ったようですね。Japanese climber dies on Mt Everest登山ルートには、随所に120体もの遭難者の遺体が凍結放置されている。また、遭難死の7割は下山時に発生している。死亡率は5%前後とされている。
日本のニュースは、ちょっと偏っているのかなあというのが感想です。こんなことをいったら、パニックになるのではないか、とでも考えているのでしょうか。私たちにとって、良いニュースもあれば、悪いニュースもあります。現代は、良いニュースは大げさに、悪いニュースは控えめに届けられているのではないでしょうか。原発のニュースも然り、きちっと「事実」をみるべきです。何のために、皆さんが「痛みを体験」しなければならなかったのか、多くの人に、そこから「学びを得るチャンス」を奪ってしまうようなものです。私たちが感じる「悪いこと」は、ほんとうに悪い事なのでしょうか。言葉も通じない小さい子供に、どうやって親は「危ない」と知らせるのでしょう。それ以上、子供に危険が及ばないように、「痛み」をもってしか親は知らせるすべはないはずです。私たちは、大いなる自然にとってみれば、赤子のようなものです。多くの死を無駄にしないためにも、目の前の現実と向き合う機会を奪わないでいただきたいと思います。私たちの成長のために!リフレクソロジールームママキッチン
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