亡くなってからも幸せになっていく父。ほっぺがうっすらと赤らんで、、「えっほんと?」






人が亡くなるって、とっても悲しい話だと、

無意識のところで、そう思い込まされてしまう「慣習」があります。

「失う」イコール「悲壮感」ですか?


そして、果たして「失っている?」のでしょうか。

「失う」ことの後ろ盾には、「恐怖」がいます。

そして、「執着」、、、そこから離れられない!

捨てられない!などなど。

あって当たり前のような関係、、、はどうかな?

「家族」「パートナー」「恋人」の関係をこじらせてしまうのは、

「期待」や「執着」です。






実は、元っから、

「自分のもの」というものは、

この世には、そんな物質存在しないと思っていたらどうでしょうね。

だから、「失う」ものもないでしょ。




父を先日見送って、両親二人の介護を振り返ってみました。

2年2カ月施設に通い詰めの毎日。


車椅子(歩行不能)で施設暮らしの二人。

施設の中では、車椅子2台を同時に操っていた私です。


毎日少しでもよくなるように、できる限りの事をして、

毎日毎日、通いました。




もっとさかのぼってみると、


その前は、2008年から、両親の住む家での介護。

歩ける人や自分のことができる人は、なるべく在宅で、、、と言われ、

お家での介護になります。

ケアマネージャーさんに相談して、

そのお家に最適な「支援」を選べるようになっていますね。



私が、在宅の父母をみていた時は、

父が母を介護する形を、サポートする介護。

これは、非常に気を使いました。

常に父にエールを送って、「母の面倒を見ているんだ」って、

実感してもらえるように、影の存在としての役わりに、徹していました。



毎日、母を早朝風呂に連れて行き、(4年近く続いたの)

そのあとカフェで、父と待ち合わせをさせて、

デートしてもらいました。

スーパーでも人気者の二人になりました。



介護を通して学んだのは、「人間ってなんだ」ってことです。

答えはひとつじゃない。

毎日毎日、小さな答えはやってきます。

でも、一つあげてと言われれば、

「幸せになる」ことかな。人間て幸せになるために生きている動物。

そうかもね。

でもさ。

実際は、苦悩の連続だよ。

それでも、「小さな幸せ」は、いたるところに散りばめられているのが、

ちらほらとわかってくるもんなんだね。


お金がいっぱいあってなんでも買える人。

文句ばかり言っている人。

こういう人には、「小さな幸せ」やってきませんから悪しからず。






介護の話の続き。。。。

お家に居られるうちは、まだまだ状態は軽いですが、

家族の負担は、神経的に落ち着かないというところです。


施設に入らなければならない状況になってくると、

また別の心配やストレスがやってきます。

どんどん生活機能レベルが低下していくからです。





「奪われていく自由」


こう書くと、悲壮感漂いますよね。


でもでも〜〜。。。。

肢体不自由でも、心は解き放たれる。

私は、これを目のあたりにしました。

すご〜〜く根気はいるよ。


頑張れば、がんばり甲斐があるからね。試してほしいな。


これは、何かをしてあげるよりも、


じっと寄り添うという「そこに居続ける」がんばりです。


もっと言えば、どういう状況を見ていても、


常に「自分であり続ける」こと。




父と母を抱きしめて、

「大丈夫だよ」「私がいつもついているからね」

「安心してね」「守っているから」

「なんでも私に言ってね」

年がら年中同じことを囁いていました。



だからなのか、

亡くなった父は、肺炎で2カ月間辛かったはずなのに、


最後のお顔には、

その苦しみが全くなかったのです。



安置されていた場所は、葬祭ホールでしたが、

毎日の仮通夜には、

入れ替わり立ち代り、父とお話しする方が現れ、

なかなか人気者の父でした。


毎日盛り上がってました。


父も参加してね。


するとどんどんお顔が変わってきたのです。


若い女性が、「お父さんと会えて幸せ」なんて言うと、


お顔を赤らめたりするんですよ。


こんなことありえないでしょ。


私の錯覚じゃなくて、その場にいた方は、


みんなそう見えたんです。


亡くなってから7日後のお顔は、

なんと安らかな、まるで赤ちゃんのような雰囲気を醸し出していました。


亡くなってからもずっとスキンシップしてもらえるなんて、

幸せですよね。




前回の「梅干し」の話が、

ちょっと悲しげだったかな?

まだまだエピソードは、続きます。



今日はこんなところで。



井沢慶紅でした。




image by John

☆ Body knows the future ☆

からだの声に耳をすませばいいの?声って何?この「瞬間」からだのそこかしこが、どんな風につながって、そしてすべての組織や育みを、足は大地に伝えているんだろう。手には何を携えているんだろう。網膜に映る現実を、心にどう伝えているんだろう。内なる「目」で、どこに心地よさがあるんだろうって感じて。ほらほら!「生きる」こと、楽しみに待っている「細胞たち」がある。そうなんだね。からだは未来を知っている。