映画『クロエ』のレビューから 裏切り

ジュリアン・ムーア扮するところのキャサリンは、クロエ(アマンダ・セイフライド)という名の高級売春婦を雇い入れ、自分の夫の浮気を暴くために罠を仕掛ける。そして、罠を仕掛ける事がはらむ難しさというのは、時々、間違った獲物を引っ掛けてしまう事であり、この作品の中でそれは、他人が傷つけられるという事を意味する。この映画「Chloe」は、時には予測可能で、時には不可能な、そういった付随的な被害を用いる、あらゆる手法を取り入れている。エゴヤン監督と脚本家のエリン・クレッシーダ・ウィルソンは、裏切りの本質を探究するために、この設定を構築して、また、そこに生まれた隙間を埋めるためには、イマジネーションを発揮してもいて、これは、この監督が、今までも深く掘り下げてきた領域なのだ。本作の細かい作りは、2003年のフランス映画「Nathalie」から譲り受けたもので、その作品の監督兼脚本家アン・フォンテーンは、この「Chloe」でのリメイクにも関与している。しかし、パリの街並みでは知的、かつ、エロティックに見えた要素は、合衆国に場所を移すと、みすぼらしく映ってしまうのが事実だ。この製作者が批評家筋から賞賛を受けた、1994年の映画「Exotica」とは違い、本作「Chloe」は、その展開が短い時間に区切られていて、結果として、話の展開に途中で邪魔が入るという印象である。そのテーマが持ちえたはずの、人と人の力関係におけるセクシュアルなバランスへの視点は、ここでは、少しちょっかいを入れるだけで、満足のいく結論も与えられないまま放置されるのだ。それでも、エゴヤン監督には、役者を操る素晴らしい手腕が有るのも事実で、ジュリアン・ムーアとリーアム・ニーソンの2人は、ここで持ち上がるトラブルを、見るに値する程度に興味深く維持する、その技能を発揮している。同時に、そのラブンゼルのような髪型が、けして解ける事のない、アマンダ・セイフライドは、実に、誘惑する女の姿を映し出してもいる。だから、いくつもの場面で本作は、その欠点を許し得るに十分な程、誘惑的な映画になっているのだ。(The Los Angeles Times)以上映画『クロエ』のレビューより

リフレクソロジールームmama-kitchen

「裏切り」とは、表面上の信頼関係を続けつつ、実は破壊的行為をしていること。信頼関係と一言でいっても、その信頼関係は、当事者それぞれの思いはまったく異なることを、自覚していないことにより、問題が発生します。先日、ユニバーサルカラー というものを知りました。ユニバーサルカラーとは、人間の色の感じ方は一様ではありません。遺伝子のタイプの違いやさまざまな目の疾患によって色の見え方が一般の人と異なる人が、合計すると日本に500万人以上存在します。こうした多様な色覚を持つさまざまな人に配慮して、なるべく全ての人に情報がきちんと伝わるように利用者側の視点に立ってつくられたデザインを、カラーユニバーサルデザインといいます。これは、視覚についてですが、聴覚、臭覚、触覚、味覚の五感についても、同様のことが言えます。私たちは、同じ世界に住んで、同じ感覚を共有しているように見えますが、ひとりひとり異なることを、自覚していないのです。関係性に関しても、同じように人と人の関係をどのように築いているのか、個人差があることも認識していません。信頼関係とは、ポジティブなエネルギーを構築していく関係性ですが、その原型となっているものは、出生時の母子関係にあります。私たちは、この世に生まれて、母親の助けなしに生きることは、できません。母親のすべてが、私たちの「安全」というポジティブな関係の基盤になっているのです。ここで、問題が見えて来ましたでしょうか。もし、母親が子どもに愛情をもって接していなかったら、こどもは、愛のない関係を「愛」と認識することになり、愛とは、奪う事であり、占有することであり、といった歪んだ愛の形で、関係性を築いていくようになります。これは、第一チャクラと第二チャクラの、アンバランスといった形で現れ、仙骨の部分や、腎臓や腰に対応する足の裏の反射区に痛みとして、身体はメッセージを発信します。ママキッチン

☆ Body knows the future ☆

からだの声に耳をすませばいいの?声って何?この「瞬間」からだのそこかしこが、どんな風につながって、そしてすべての組織や育みを、足は大地に伝えているんだろう。手には何を携えているんだろう。網膜に映る現実を、心にどう伝えているんだろう。内なる「目」で、どこに心地よさがあるんだろうって感じて。ほらほら!「生きる」こと、楽しみに待っている「細胞たち」がある。そうなんだね。からだは未来を知っている。