「本音」と「建前」は精神的生活習慣病

 ミケランジェロ先生は自然療法の分野、文化人類学、歴史、哲学、もちろん医学と、あらゆる分野において、卓越した経験に基づいた理論を持っています。年間三回、日本で、講演や、コンサルテーション、リフレクソロジーなどを行っていますが、今回のセミナーは、特におもしろく、その中の印象的なトピックを書いてみようと思います。・・・・・・・・・・・・・・・日本人に、あなたはいま、怒っていますか?というと「いいえ」と言って、素直に感情を表せない。それが不思議だというのです。怒っていないという表現しかない。私たち日本人の感情は、コントールされています。(自分で感情を表に出さないように)社会的に「感謝していること」を強要されている。日本人の思考と態度はダブルの構造を持っていますね。でも、ここでなんとかしないと、これから大変だと言うことが、見えてきました。「本音」と「建前」です。私たちにとって、慣れ親しんだこの構造は、自己破壊へと進んでいく危険な習慣で、精神的「生活習慣病」とも言えるでしょう。なぜなら、自らの「怒り」や「恐怖心」に、つながることを、拒否する思考回路だからです。表面的には、平穏な状態を装っていますが、内面は、押さえきれない感情がうごめいています。ほんとうはすごい「怒り」があるのに、その気持ち、感情を見たくないという「恐怖心」があります。感情をさらに内面に押し込んでしまうのは、関係性において、自分でつくっている「外見」です。幼いころ、充分に愛情を受けられなかった私たちは、成人になるための、いろいろな情報を、充分に受け取れずに、成長してきています。動物界では、その社会で生きていけるようになるまで、母親は、片時もこどものそばを離れずに、子育てをします。人間の成熟は、25歳くらいとされています。幼児のころの、2年間は、神経システム、免疫系が、完成する大切な時期です。この期間は、いつでもこどもに「おっぱい」を、あげられるところに、母親はいなくてはなりません。充分に母乳をもらうことにより、人間社会で生きていく準備が整うことになります。・・・・・・・・・・充分に「愛情」を持って接してもらえなかった私たちは、常に、他人に対して「りっぱな大人」の自分を、表現しなければいけないと教えられてきました。

リフレクソロジールームmama-kitchen

「愛情」という言葉を使いましたが、自然界における「愛」は私たちが、感情的に考えている愛とは、まったく異なります。誰も子どものことが大切ですし、「愛情」を持って接していなかったと言われたら、そんなことはないと、おっしゃるでしょう。子どもの将来を考えて、子どもに教育をはじめ、自分たち親が、なし得なかった夢も子どもに与えます。でも、ほんとうは、「愛」=「無限の強さ」です。いま、世界中で、地震などの災害がありますが、これは、大自然の「愛」ということもできるでしょう。私たちが、その災害を乗り越えて、強く生きられるように、与えられた試練です。足の裏からみると、「本音」と「建前」は、「私は充分でない」と「自分が弱いことを見る恐怖」です。「私は充分でない」という感覚は、子どもの頃から、動物界に生きる生物として、生きるエネルギーを満足に受け取れなかった「胃袋」から来ています。「自分が弱いことを見る恐怖」は、集団意識から来ています。「腎臓」の生命エネルギーを消耗する生き方を受け継いだ結果です。日本人の集団意識、「長いものにまかれろ」「みんなで渡れば怖くない」「多数=強い、少数=弱い」「その他大勢のなかにいれば安心」「社交辞令」など、集団のなかで生きて来た日本人ならではの、発想です。魚の大群が海の中を泳いでいる様子を想像してください。小さい魚たちが、たくさん集まって、大きなくじらのような集団をつくることで、大敵から身を守る習性ですが、集団意識は、これに似ているようです。ひとりひとりは、「弱い」と思っているのです。ママキッチン

☆ Body knows the future ☆

からだの声に耳をすませばいいの?声って何?この「瞬間」からだのそこかしこが、どんな風につながって、そしてすべての組織や育みを、足は大地に伝えているんだろう。手には何を携えているんだろう。網膜に映る現実を、心にどう伝えているんだろう。内なる「目」で、どこに心地よさがあるんだろうって感じて。ほらほら!「生きる」こと、楽しみに待っている「細胞たち」がある。そうなんだね。からだは未来を知っている。