真実と嘘は「恐怖心」で見えなくなった自分の姿。映画『羅生門』

真実と嘘。嘘で塗り固めた供述。『羅生門』以下ウィキペディアより転載。あらすじ平安時代。荒れ果てた都の羅生門で、杣売りと旅法師が放心状態で座り込んでいた。そこへ雨宿りのために下人がやって来る。下人は退屈しのぎに、2人がかかわりを持つことになったある事件の顛末を聞く。ある日、杣売りが山に薪を取りに行っていると、武士・金沢武弘の死体を発見し、検非違使に届け出た。次に旅法師が検非違使に呼び出され、殺害された武士が妻・真砂と一緒に旅をしているところを見たと証言した。やがて、武士殺害の下手人として、盗賊の多襄丸が連行されてくる。多襄丸は女を奪うため、武士を木に縛りつけ、女を手籠めにしたが、女が「生き残った方のものとなる」と言ったため、武士と一対一の決闘をし勝利した。しかし、女は逃げてしまったと証言した。しばらくして、生き残っていた武士の妻が検非違使に連れて来られた。妻は多襄丸に手籠めにされた後、多襄丸は逃亡し、妻は夫に自分を殺すよう訴えるが意識を失い、意識を取り戻したら、夫には短刀が刺さって死んでいた。自分は後を追って死のうとしたが死ねなかったと証言した。そして、夫の証言を得るため、巫女が呼ばれる。巫女を通じて夫の霊は、妻は多襄丸に手籠めにされた後、多襄丸に情を移したが、多襄丸は妻を生かすか殺すか夫が決めていいと言ってきた。しかし、それを聞いた妻は逃亡した。多襄丸も姿を消し、一人残された自分は無念のあまり、妻の短刀で自害したと証言した。しかし、杣売りは下人に「3人とも嘘をついている」と言う。杣売りは実は事件を目撃していたのだ。そして、杣売りが下人に語る事件の当事者たちの姿はあまりにも無様で、あさはかなものであった。キャスト多襄丸:三船敏郎都の内外に悪名が轟く盗賊。女好きとしても有名。真砂の美貌や気性の激しさに惹かれ、金沢夫婦を襲う。金沢武弘:森雅之 旅をしている武士。言葉巧みに多襄丸に山奥まで連れて行かれ、木に縛られ、妻を手籠めにされる。真砂:京マチ子金沢の妻。一見、おとなしく貞淑な妻だが、内心では激しい気性を抱えている。杣(そま)売り:志村喬金沢の遺体の第一発見者。事件を目撃し、人間不信になるが、最後に人間らしさを取り戻し、ある行動をおこなう。旅法師:千秋実生前の金沢を目撃していたため、検非違使に呼ばれる。杣売りの話を聞いて人間不信となるが、ラストの杣売りの行動に心を救われる。下人:上田吉二郎雨宿りの際に暇つぶしに杣売りの話を聞く。杣売りの偽善性を突き、人間のエゴイズムをさらけだす行動をラストにおこなう。巫女:本間文子巫女というより霊媒師。金沢の霊を呼び込み、証言をおこなう。放免:加東大介河原で倒れていた多襄丸を発見し、検非違使に連行する。
羅生門 デジタル完全版 [DVD]
(2010/07/23)
三船敏郎、京マチ子 他

商品詳細を見る
『羅生門』(らしょうもん)は、1950年(昭和25年)に公開された日本映画である。監督・黒澤明によるモノクロ映画の代表的作品。原作は芥川龍之介の短編小説 『藪の中』だが、同 『羅生門』にも題材を借りる。対立する複数の視点から同じ出来事を全く違う風に回想し、真実がどうだったのか観客を混乱させるという手法が用いられており、これはアメリカや中国など、多くの国の映画やフィクションに影響を与えている。本作は、1951年のヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞し、黒澤明や日本映画が世界に紹介されるきっかけとなった。同映画祭での受賞は急遽決定したものであり、授賞式ではその場に偶然居合わせた無関係の東洋人がトロフィーを受け取る代役を務めた。この姿は写真報道され、この無関係の東洋人が黒沢本人であるとの誤解を招いた。本作の完成時、世間の評価もぱっとせず、大映社長(当時)の永田雅一も、「この映画はわけがわからん」と批判していた。しかしながら本作がヴェネツィアに出品されてグランプリを受賞すると、永田は一転してこれを自分の手柄のように語った。黒澤は後年、このことを回想し、まるで『羅生門』の映画そのものだ、と評している[1]。1982年(昭和57年)、本作は、過去のグランプリ作品中最高の栄誉金獅子賞(Career Golden Lion)に選ばれた。ウィキペディアより
かかわりあいになるのが、恐ろしかったと言って、最後に、杣売りは下人に「真実」を述べるが、なぜ最初から、真実を述べなかったのか、その心のうちを下人に暴かれて、罪の意識によってついた嘘が発覚し、呆然と立ち尽くしてしまう。下人が立ち去ったあと、人間不信に陥った杣売りと旅法師。羅生門に捨てられた赤ん坊を、杣売りが、「自分のところに、子供がたくさんいるから、一人育てるも、何人育てるも同じだ」というと、旅法師は、「あんたには、渡せない」と言葉を吐き捨てたあと、ひとを信じられなくなっていた自分が恥ずかしくなり、杣売りに、こころから謝る。「信じる」も「信じない」もそのひとが、決めることだということ。ひとを信じれないというまえに、自分の事を「信じていない」自分がいたということです。リフレクソロジールームママキッチン

☆ Body knows the future ☆

からだの声に耳をすませばいいの?声って何?この「瞬間」からだのそこかしこが、どんな風につながって、そしてすべての組織や育みを、足は大地に伝えているんだろう。手には何を携えているんだろう。網膜に映る現実を、心にどう伝えているんだろう。内なる「目」で、どこに心地よさがあるんだろうって感じて。ほらほら!「生きる」こと、楽しみに待っている「細胞たち」がある。そうなんだね。からだは未来を知っている。