英語がなかなか使えないのは、日本人の概念で英語を理解しようとしているから?
わたしのリフレクソロジーの師匠は、イタリア人のミケランジェロ先生です。
いつも先生のレクチャーは、英語でおこなわれ、オーガナイザーである、キネクラブジャパンの新井真理子さんが、通訳も兼務していらして、私たちはお世話になっています。英語をマスターしたいけれど、なかなか続かないんですね!映画をくり返し観ることは、習慣になってきましたが、魅力的な本はたくさん買いましたが、実際やるのは自分です。なんだか、本屋さんに貢献するだけで終わっていました。でも、去年これだと思う勉強法をみつけました。それは、本ではなく「講義録」でした。インターネットで買うのに、かなりあちこちレビューをみましたが、信頼性を欠くコメントはまったくなかったので、思い切って購入!とってもよかったです。でも、すべて実践なんです。自分の習慣や概念を変えていく作業がそのなかに含まれていました。いままでの英語は、何のために勉強するのか、目的がはっきりしていないということです。会話を勉強するのと、英語を勉強するのでは、やるべきことが全く異なるのです。これには、同感でした。まあ、会話とは、ということは、少し置いといて、言葉について、学びました。哲学で、構造主義をとなえたソシュールというひとが言った説だそうです。「先に言葉があって、それに対して概念が生まれてくる」これは、言葉がちがうと、みているものの概念が違ってくるということです。もし、先に概念があって、言葉が生まれたのなら、どの言葉も、同じ意味のの幅を持ち、まったく共通のものになります。英語の「sheep」と、フランス語の「moutons」は、どちらも日本語でいう「羊」です。フランス語では、生きている羊も、食卓の上にある羊も同じ「moutons」です。英語では、生きている羊は、「sheep」で、食卓にある羊は、「mutton」です。言葉が指し示す、幅も、意味もことなってきます。私たちは、言葉を無意識に使っていますが、母国語がここまで話せるようになったプロセスがあります。まず、赤ちゃんのときから、聞いた言葉を何も考えず、発声を繰り返して来た事が始まりです。そして、その言葉の持つ概念を、体験を通してして学んできました。最初は母親から、次は父親、そして兄弟、姉妹、友達、学校、社会と、範囲は拡大していって、言語グループを形成している生活圏のなかで、言葉が示す概念、つまり、私たちは母国語を話すこと、イコール世界観を学んでいたのです。以上Dr.TERUKI さんの講義録より参照させていただき、一部、引用させていただきました。このお話を去年聞いていたときは、たしか iPod touch をやっと使いこなせるようになったころかな?常にオーディオブックを聞ける環境を整えたくて、iPod に興味を持ちました。話は、学習法に戻りますが、新しく何かを学ぶとき、「写真をうまくとること」だったり、「絵をかく」ことだったり、「リフレクソロジーの技術」だったり、まず、なにも考えず、赤ちゃんのように、毎日、ひたすら、「体験」する事から始まります。その「体験』をたくさん重ねていくうちに、その世界観や、概念を、身体で感じてくるのです。私が、師匠であるミケランジェロ先生から教えを受けた「リフレクソロジー」は、日本で行われている他の「リフレクソロジー」とはまったく異なります。同じように、足に対して、施術はしていきますが、他で行われているような、リラクゼーションではありません。足の裏に示される書く臓器の「痛みの言語」を読み取って、「痛む所に対応する臓器」に、よりエネルギーを与えることにより、システムの再構築をサポートするものです。リフレクソロジールームママキッチン
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