自分のカラダぐらい自分で治さなくっちゃ。医療を頼りにしない生き方を真剣に考える時が来た。

異常ありません。

今日はこれで終わりです。



この一言を聞くために、

睡眠時間を削ってまで、

他の仕事を済ませて、駆けずり回ってここに来たんじゃないよ。

股関節の手術を受けた患者が、

歩けるかどうかは問題じゃないようだ。

術後に、入れた人工骨がうまく収まっているか、

それを見ただけ。

足に触れもせずに、診察は終わった。


まあ、そんなとこだと思っていたけれど、

緊急入院してから、これで三人目、三回目の診察、

すべて初対面の医師。


チームで診療、手術に当たっているんだって。

担当医はいない。


担当のお医者様がいないと、ちょっと不安ですねって言ったら、

誰に聞いても、わかるようになっているので、

その点、安心とも言えると思いますだって。


病院は、壊れた中古製品の修理工場のように、

毎日忙しく運ばれてくる患者を受け入れ、

そして、修理を続けている。


経営的にも、グループ会社を作って、

うまくいっているようで、

完全にシステム化された下で、

人間も動いていて、管理されている。


まるで、製造会社を見ているようで、

人間を扱う医療の形は、

非人道的であるように思えてならない。


そんなシステムの中で働く人たちは、

かなりストレスを抱えているし、

患者や患者の家族も、たくさんの書類にハンコを押させられて、

文句も言えずに耐えている。



しょうがないなあ。

自分のことで病院に来ているのではないから。


私?

私は、病院と決別してからかれこれ30年ぐらいになるかな。

ステロイドの副作用の事件があって以来、

自分のカラダは自分で治すと心に決めたから。


あの有名大学病院も、

「白い巨塔」そのものだった。

コネがあって、教授に直接診察をお願いすることになったが、

まずは、これを持って会いに行ってくださいと、

菓子折り?も指定されたっけ。

お金も入れたかな?


その道の学会でも有名な教授は、

講演会でも人気があって、

顧問もたくさん引き受けていたようで、

私も何回も講演会には仕事柄通っていました。


「私はステロイドは使わない」と、

豪語していたにもかかわらず、

君の場合は、原因が特定できないから、

これ使って。


これで終わり。


まずは、問診もなしで、

アレルギー反応をチェック。

使っているものを持って来いというので、

山ほど化粧品を持って行ったら、

係りの人たちが、私の背中一面に、

パッチテストを行い、すべて陰性。


教授は、最後の最後に、大勢を引き連れて、写真班までいてね、

そして患者に、引導を渡す。

「治らないよ」って。????

原因はわからないから諦めろって?

それは、本来の「引導を渡す」と意味違うじゃん。


医道を目指すものは、

仏道を目指すものと同義だったのでは。

導師が、人々を導いて仏道に案内することを意味するこの言葉は、

葬儀や儀式の時に、死者が迷わずに悟りを開くことができるように、

法語を唱えることを意味するようになったと書いてある。

生を諦め、別の道への橋渡しの「悟りのための言葉」


迷える心を鎮めて、安らかに悟りの道へと精進させるはずの言葉が、

道を外した医道では、

「実刑判決」のような「告知」になっているのは、

実に悲しいことだよなあ。




診断とは、こんなものじゃない。

これじゃわかるわけないでしょ。

どんなライフスタイルで、どんなものを食べているか、

職業は何か。

家族でアレルギーを持っている人がいるか。

なんにも聞かないんだもん。


最初から、解決する気もないんじゃない。


医道は、どこへ道を進めてきたのかな。


機械ばかりが高性能になって、

それを扱う人間も、無機化している。


診察が終わると、会計にファイルを置いて、

時間が経つと処理が終わったプラスチックの診察券を渡され、

キャッシャーに入れてお金を支払う。

自動音声で、お大事にだって。


どこが、お大事によ。

毎度あり〜でしょう。


全くこころがこもっていない。

人間と人間との接点がない医療システムで、

どう人間を治していくのか、

これからどう終焉を迎えるのだろうと、

改めて考えさせられた1日だった。





☆ Body knows the future ☆

からだの声に耳をすませばいいの?声って何?この「瞬間」からだのそこかしこが、どんな風につながって、そしてすべての組織や育みを、足は大地に伝えているんだろう。手には何を携えているんだろう。網膜に映る現実を、心にどう伝えているんだろう。内なる「目」で、どこに心地よさがあるんだろうって感じて。ほらほら!「生きる」こと、楽しみに待っている「細胞たち」がある。そうなんだね。からだは未来を知っている。