腸内細菌がものを考え人生の質を決める時代へ。
The World Within You: The Microbiome
からだの言葉ってなんだろう?
もっとわかりやすく教えてよ!
そう言ってみると、
こんな画像がネットで現れました。
なんだか綺麗だなあ〜
文様にグッと心を掴まれ、
「シンボルや文様」が大好きで、その世界に入っていた幼少の頃を思い出す。
からだの言葉って?
この問いかけを、ずっとし続けてきた。
一体どれぐらいだろ?
そういう意識を持ち始めたの?
多分、皮膚に炎症をを起こし始めたことがきっかけで、
自分というものの内と外を、
潜在意識の中で探求し始めたんだよね。大人になってからは。
30年ぐらい?かも。
興味を持って、「なぜ?」「なぜ?」って、
その答えを求めて、導かれてきたことをたぐってみる。
最近思うんだけど、なんの脈絡もなく学んだことに、
無駄なことは一切ないって。
今日(書き始めた日は2週間前)は、腸内細菌や細胞のことを考えていたら、
ペイズリー柄が浮かんできたの。
ペイズリー柄。
今この柄を見ると、ほんとほんと、腸内細菌や細胞に見えてきちゃう。
なんだかとっても親しみを感じるんです。
模様の優美な曲線、草花を元にしたモチーフが繰り返されるリズムは、人間の心理に安心感を与える効果があると考えられている。模様の向き、配置のパターンに変化を付けることができ、空間の構成の自由度が高いため、用途に応じたデザインをすることができる。ペイズリーの形はゾウリムシやミドリムシなどの原生動物、植物の種子・胞子・果実、花弁、ボダイジュなどの葉、初期段階の胎児、尾を引いた生命の塊などに例えられ、生命力や霊魂と結び付けられることもある。ペイズリーの発祥の地として挙げられているイラン、インドでは本来模様が持っていた宗教的意味や象徴性は忘れられ、単純に装飾として使われている。
模様のモチーフはボダイジュ、ナツメヤシ、ザクロ、ヒマラヤ山脈から吹き付ける強風で曲がったイトスギなど諸説ある。ペイズリーの周辺に蔓を伸ばし、花を咲かせた構図が多く、ペイズリー自体に花や葉が描かれることもある。ペルシア風の花鳥文を交互に配置した文様がインドに影響を与え、やがて花の形が抽象的な文様に変化していったと考えられている。
(中略)
(中略)
ヨーロッパのテキスタイルデザイナーの間ではネブカドネザル2世の時代の新バビロニア王国でナツメヤシをモチーフとしたペイズリーの原形が既に使用されていたことが周知され、ペイズリー美術館ではナツメヤシが模様の起源であると紹介されている。ロシア連邦南部のアルタイ共和国のパジリク古墳群から出土した紀元前500年頃の皮製の容器には、ペイズリーが描かれていたナツメヤシ、アカンサスの葉、パルメットの葉といった生命の木をモチーフとする装飾はアッシリア、バビロニアの時代を経てヘレニズム世界で完成される。ギリシア人の東方植民の中でヘレニズム文化が西アジアにもたらされた時に、ペイズリーも広まったという仮説がヨーロッパで立てられており、アレクサンドロス3世の遠征により東方にもたらされたとも言われている。 また、ケルト人が使用していた模様をペイズリーの起源とする説も存在するが、独立した一つ一つの草花文が繰り返されるペイズリーと結合したモチーフが長く連続するケルト独特の模様の差異から、二つの模様の関連性を疑問視する意見もある。インド、イラン、中国といったアジアの地域に起源を置く立場からは、人間の生活に密接に結び付いた松かさをモチーフとする説が出されている。
9世紀頃にアフガニスタンのバルフに建立されたモスク(寺院)にはペイズリーが見られるが、ペルシア絨毯にペイズリーが描かれるようになったのは時代が下った19世紀以降になる。カシミール地方では主に織物に用いられ、ラージャスターン、グジャラートでは木版染めによって木綿にあしらわれていた[20]。ペイズリー模様の木綿は日本に輸出され、「更紗」と呼ばれるようになる。17世紀のカシミア・ショールには細く根元まで描かれていた草花文が織り込まれ、このようなムガル帝国の自然主義とペルシア文化の優雅な特徴が合わさったモチーフはブータと呼ばれていた。
17世紀後半以降にヨーロッパにカシミア・ショールが輸出されるようになり、ナポレオン・ボナパルトのエジプト遠征から帰国した土産物として持ち帰られたカシミア・ショールは上流階級の婦人の間で人気を博した。また、19世紀にイギリス東インド会社の職員が故郷に持ち帰った土産物の中に含まれていたショールによって初めてヨーロッパにペイズリーが伝えられたとも言われている。19世紀初頭のヨーロッパではモスリンのドレスの上にカシミア・ショールを羽織るスタイルが流行しており、インドで生産されたショールだけでは供給が不十分な状態になっていた。ノリッジ、エディンバラなどのイギリスの都市ではカシミア・ショールの模造品の生産が行われ、1820年頃に生産が追い付かないエディンバラの工場はペイズリー市の職人にショールの生産を依頼した。
以上ウィキペディア「ペイズリー」より抜粋して転載。
(ここまで書いて止まっていました)
(何せ、いろんなことが起こったもんで、、、)
(やっと、2018年9月30日の今日、書き終えるのかな)
私は、腸の病気にかかって以来、
ずっと超神経質な子として成長してきた気がするなあ。
小学校1年の時に、盲腸で腹膜炎を起こして、危うく命を失うところだったことがあってね。
病弱だった私は、すこく、すごく、周囲に気を使ってきた。
内向的だった私。
これは、おとなしいということじゃないよ。
私は、とっても外交的に見えるし、気質としては積極的だから。
「おとなしい」という意味は、
意識が、もともと、すごく内に向いていたということ。
外側に表現している何十倍も、
内側では、いろんなことが起こっていたんです。
まっ、良い意味で、いろんなことを、内側に溜め込んできちゃったわけ。
それも、細胞の中に、密やかに「これが私よ!」を、
貯めてきた。
それを外へと向けることが、ココ何年かの、内なる欲求だったことに、
今気づいた次第で。
あ〜だから、ボディーワークを始めたんだと納得!
まずは、知人に歌を習うことから始まり、
スポーツジム(すぐやめちゃった)、ダンスへ。
ダンスを始めたことによって、さらに「からだって?」なんだろうという疑問が浮上。
ソマティクスの分野を学ぶことに。
さらに、「声」にも興味を持ったの。
「声の色」があるでしょ。
対人サービスの仕事を長年してきて、
相手の気持ちを、体の状態を、感じてきた。
それは、「声」=音色によるところ大かな。
喉は、表現の場として知られているけれど、
小学校の時に、扁桃腺とアデノイドもチョッキンって、切除されてしまった。
ソマティクスのハンズオンという手技で、
私の喉に触れてみると、大きな大きな壁のようなものがありました。(2年目に発見)
(トラディッショナル)ヴォイストレーニングになぜか興味を持って、
響くからだへの開放の道を歩んできたのも、
この壁を打破するためだったんだね。
最近の4年間は、自分の肉体を知るための、
濃縮された経験の数々を自分に与えることができました。
今年の秋は、今までの「内なるすべて」を、
外へ向けて「大きく舵を切る」そんなモードへ移行した、
人生の転換期を迎えた次第です。
私の人生は、とってもドラマティック。
「人生の終焉を迎える」準備をする両親の介護。
苦しいし、心配、悲しい。いろんな感情を、
私の腸内細菌は、受け止めて、プロセスしてくれているおかげで、
私は、穏やかに父と母に接することができています。
一つ、一つの細胞にも、日々のサポートをありがとうって、
心から感謝します。
私の頑張っている腸内細菌くんたちは、
今、「お米」を欲しています。
ヴィーガンになると、食べ物に困るのでは?
そう思う方がまだたくさんいらっしゃいますが、
全くそんなことはないです。
もともと、私たちは、植物界にお世話になって、
生きてきたわけですから。
人間が人工的に作ったもので、人間をダメにする。
こういった負のサイクルから「思考的」「潜在意識的な呪縛」から抜け出して、
これからの「革新的な生き方」に目覚めるためにも、
ぜひ「植物界」へと、
いらしてみてくださいね。
井沢慶紅でした。
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