彼が自分のプライベートメッセージを誰かに見せていたとしてら?・・真実のコミュニケーションは「ツール」や「文字」に「依存」しないことですね♪

「真実」を求めているのに、「真実」から遠ざかっていく現象。たくさんのコミュニケーション手段があって、どれもとっても便利だけれど、それだけに、人を傷つけてしまう可能性も大きいなあと、ちょっとため息をついてしまいます。こうやって文字を書くこともしかり・・・表現することに関しては、充分な注意を払わないとね。自己責任はもちろんですが、自分で責任を終えない部分に対しては、書くべきではないと言うことは、しっかり肝に据えておくべき重要なこと。自分に関することも、どこからどこまで書くかも、充分注意しないとね。例えばFacebookに関して、こんなこと考えてみました。Facebookのメッセージは、一応、個人対個人で情報をやりとりするようになっています。これは、通常のメールと同様ですが、重要なメールなどはここでは扱わない方が良いでしょうね。メールBOXには、受信箱と「その他」があって、大事な返信が、「その他」BOXに入ってしまって見落としてしまった例が書かれていました。最近は、スマホの普及率がかなり進んだようで、Facebookのアプリを、こういったデバイス(PC以外)で使っているひとも多いようですね。確かに、相手に送ったプライベートMessageは、その人だけに送るものですが・・・・・そのスマホを、誰が見ているかは、送った本人の知る由もないところがちょっと怖いなあと、感じます。プライベートなものを、他の人にみせるなんてと、思いますが・・・・もし、たくさんのガールフレンドから送られたメッセージリストがあったら、彼はどうすると思いますか?
イメージしてみてね。そうしたら、誰がみても良い文章にしておいたほうが無難ですね。大切なことは文字にしないことです。コミュニケーションは、エネルギーの交換です。良いものもそうでないものも、相手にぶつけてしまっては、互いを傷つけあうのは必至。「真実」を求めているのに、「真実」から遠ざかっていく現象はここにあります。彼を、彼女を、友達をつなぎとめておきたいから、こういったツールでつながっているという行為の背景には、「失いたくない」という「恐怖心」が鎮座しています。ここに自分の「嘘」があるわけです。そして、そこから発せられるメッセージは、もちろん「自分の嘘」からでた「まこと」もどきの言葉となるわけ・・・これって、とっても危険ですよね。表面的にはつながっているけれど、心はどんどん離れて分裂していく道を辿っています。私も、そういった痛みを体験したから、こんなことを書いているのかもしれませんね。「痛みから学ぶ」とは、まさにこのこと。仕事の中でも、色々な経験をしてきました。長年、技術者として、この腕や身体や精神を、絶えず鍛錬していくのは、常に最高の「自分」を相手にエネルギーとして、送りださなければという「信念」からです。自分が自分に対して「オープン」で「誠実」であれば、どんな結果が待っていようとも、それを「受け入れる」ことができるし、どんな壁も乗り越えられるという確信が持てます。もしも、私が施術相手に、「ジェラシー」や「競争意識」をもって、リフレクソロジーなどの施術をしたとしたら、自分の持っている「ネガティブなエネルギー」が、相手のエネルギーを使って、倍増することになるわけです。日々、腸をクリーニングして、毒性のある食べ物を食べないのは、さらに良い仕事を提供したいから・・・・・セッションはコミュニケーションです。特にリフレクソロジーのセッションでは、身体の言語を扱います。私が常にクリーンで、オープンで、相手に対して深いコンパッションと、敬意を払うことで、それまで知り得なかった「心の奥深くのこと」や、「魂の言語」など、必要なすべてが、エネルギーとして、私の中へ流れてきます。私は、チャンネルを切り替えるだけで、現実の顕在意識の状態でありながら、あらゆるところへとエネルギー言語を受け取る旅をすることができます。セッションが終了すると、ほとんどの情報は記憶からなくなってしまいますが、その後には、心地よい感覚、達成感のようなものが、エネルギーとして身体に残っていて、お互いそれを共有することができるのが、唯一の楽しみでもあります。信頼をもって、私とのセッションを体験してくださっている皆さんに、心から感謝のメッセージを送ります。リフレクソロジールームママキッチン

☆ Body knows the future ☆

からだの声に耳をすませばいいの?声って何?この「瞬間」からだのそこかしこが、どんな風につながって、そしてすべての組織や育みを、足は大地に伝えているんだろう。手には何を携えているんだろう。網膜に映る現実を、心にどう伝えているんだろう。内なる「目」で、どこに心地よさがあるんだろうって感じて。ほらほら!「生きる」こと、楽しみに待っている「細胞たち」がある。そうなんだね。からだは未来を知っている。