自分の人生をもっと大切にしなさいって、「介護生活」(あらゆる依存性)との離別を促されました。新しい生活のデザインをします。
運命は、何万通りも用意されている。
この瞬間は、何万回もの決断が形になったもの。
選んでいないって?
いやいや、無意識のうちに選んでるんだよ。
今日は、何を飲もうかな。
コーヒーにしようか、オレンジジュースにしようか、
そんな些細な選択と思いがちだけど、
20年近く続けてきて、
今ここにいる。
小さな選択、それが、大きな差を生むんだってことを、
感じる。
反対に、
大きな決断なんて、思っていることこそ、
そんな差異はないかも。
例えば、就職でどちらの会社を選ぶか。
彼と結婚しようかどうしようか。
あるいは、離婚しようかどうしようか。
海外で暮らそうか、日本にいようか。
などなど、こういった大きな決意を迫られているように見えていても、
実は、はなから決まっていたんだ。
そう思うことってないでしょうか。
それこそ、宿命的レールの上で、
何番線にどこ行きの列車が入りますってプログラミングだよね。
切り替えスイッチは、
どのタイミングで誰がコントロールするのか、
あらかじめ決まっているように思えてならない。
たとえ、肉親でも、
他人のプログラムに侵入することは、
許されないんだ。きっとね。
健康的な老後生活を送るための提案は、
20年間、共に歩むことで、
あらゆる選択肢を、都度見ていたはずなのに、
ことごとく「ノー」と、
態度で表し続けた両親の「選択」の結果が、
病気の発症、認知症、
「寝たきり」
娘としては、なんとも辛い現実であるけれども、
それを、尊重して受け入れなければ、、、、
常に、好きなようにしていて、
困ったときだけ頼られる。
この連続。
元気になってくると、辛かった時のことを忘れてしまう。
なんでもするから、助けてと言っておきながら、
結局、また同じことを繰り返す。
もう、いい加減にしたら。
そんな声が私にかけられた。
どこからだかわからないけれど。
自分の人生をもっと大切にしなさい。
そうだよね。
できることはすべてやってきたから、
悔いはないよ。
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